Profile

ほりひろこ

千葉県出身。
6歳よりピアノを、11歳よりフルートを始める。

聖徳大学附属聖徳高等学校音楽科を経て、2005年4月、武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科フルート専攻入学。
在学中、福井直秋奨学金を受け、選抜学生によるコンサートに出演。
2009年卒業後は同大学の第38回千葉県新人演奏会に出演。

同じ年8月にフランスへ渡る。
2012年にベルギーのArs Musica(アルス・ムジカ)現代音楽祭で室内楽曲を初演。
2013年に国立パリ地方音楽院専門課程ディプロム(DEM)試験に審査員満場一致で合格し、翌年には室内楽のディプロムも取得。

帰国後は、自身のリサイタルのほか、室内楽、オペラ、ダンスや演劇のコラボレーションで国内外での活動を行っている。
音楽をより身近に楽しく、心と体を健やかに!をモットーに、子供からお年寄りまで楽しめるカジュアルコンサートを企画するなど地域の活動や、小中学校での後進の指導なども積極的に行っている。

これまでにフルートを北川祥子、谷藤万喜子、戸田敦、ミエ・ウルクズノフ、ジョルジュ・アリロール、ミシェル・モラゲス、室内楽をフレデリック・ラギャルド、シャンタル・ドビュッシーの各氏に師事。

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千葉県柏市で生まれ育ちました。

小さい頃から歌うことが大好きで、よく童謡のレコードを自分でかけたり、自作の曲を歌いながら適当にピアノを弾いたりして遊んでいました。

もちろん外を駆け回ることも大好きでしたが、とにかくこのときは歌が私の中で一番楽しいことでした。

当時大好きだったアニメのオープニング、エンディング曲を今でも思わず口ずさんでしまうほどに。笑

ピアノを弾きながら歌う

幼稚園に通うようになるとみんなで歌を歌うという時間ができ、そこで大好きな先生が楽しそうにピアノを弾いている姿を見て憧れを抱き、10個あった習いたい習い事の中からピアノを選択し、ピアノを習い始めることになります。

ピアノ教室は、母のすすめで知り合いの先生のところへ行きました。

そこでは音楽から感じ取れる情景や描写を一緒に想像したり、さまざまな音から感じる色合いの美しさなどをたくさん教わり、ピアノと音楽が大好きになります!

しかし音の響きにばかり目が行き、指遣いやスラー、スタッカートのような弾き方など、基本的なところをきちんと正確に覚えて弾くことがとても苦手でした。

すると憧れていたテンポが速い曲や技術的に難しい曲を弾いても思ったように弾くことができず、ピアノは好きでしたが少しずつ練習へのモチベーションが下がっていってしまいました…。

ピアノの発表会
好きな曲はゆったりとしたロマンチックな曲♪

運命を左右するジャンケン!?

ピアノはその後もできる曲を楽しく習い続けていたので、下校中も友達とそのときに流行っている歌を歌いながら帰ったり、授業で習ったリコーダーを早く吹きたいがために急いで家に帰るほど、変わらず音楽が大好きな小学生でした。

高学年になり部活動を選ぶときになって、初めて身近で吹奏楽の音を聞くことになります。

たくさんの楽器が一緒に演奏している中、フルートの高くて柔らかい音が耳に入ってきて、軽やかにメロディーを吹いているところに惹かれすぐに吹奏楽部へ入部しました。

ただフルートは希望者が多かったため、はじめはサックスに振り分けられました。 楽器も恐らく余っていたテナーサックスだったのか、当時指が下のキーまで届かなかったりなんだか音が思ったような柔らかい音ではなかったりして、望んだものと違うことに少し落ち込む日々を過ごします。

しかしある日チャンスがやってきて、1本だけフルートの余りが出たということで希望者6人でジャンケンをすることになります。

そこで見事勝ち抜き、念願のフルート担当になれたのでした!

その後は吹きたかったフルート担当になれたことがとても嬉しくて、もっと上手くなりたい!とプライベートでフルートを習うことになります。

小学生の頃

音で人と繋がる楽しさを知る学生時代♪

柏市は吹奏楽部が盛んな地域ということもあり、先輩から誘いを受け中学でも吹奏楽部へ入部し、みっちり吹奏楽漬けの毎日を過ごすことになります。

今思えば、すごいスケジュール感で動いていたのですが、「大変だ~」と感じたことは正直あまりなく、とても楽しい日々でした。

“知らないものを知る”のが当時から大好きな私は、譜読みが楽しくて、どんどん与えられる曲にいつもワクワクしながら夏のコンクール、アンサンブルコンテスト、地域の音楽祭などたくさんの場での演奏を経験することができました。

中でもアンサンブルコンテストは、少人数でいつもより密にコミュニケーションを取りながら演奏したり、長い時間をかけて丁寧に音楽を作っていくので、先輩や後輩とも打ち解けることができる素晴らしい機会でした。

息のあったタイミングで、ぴったりと美しい音程のハーモニーを奏でられた瞬間は本当に楽しく感動的で、人と一緒に演奏する楽しみをたくさん知ることになりました。

とくに覚えているのが、当時まだ1年生だった私が、いつもカッコ良くソロを吹く3年生の先輩と同じグループで演奏できることになったときのことです。

信じられないほど嬉しい半面、足を引っ張ってしまうのではないかと不安で、音程を正確に合わせることだったり、まだあまり強弱の表現の幅がない自分が、上手な先輩と音量のバランスを取ることにとても苦労しました。

でも本番で今までの練習の成果を出すことができたときは、とても嬉しくて、終わってもドキドキが止まらないほどテンションが上がりました!

アンサンブルコンテスト、東関東大会のステージ
アンサンブルコンテスト、東関東大会のステージ

合唱コンクールでピアノ伴奏を経験したことや、幼稚園の先生のピアノを弾く姿への憧れを思い出し、子どもたちと一緒に歌うことが楽しそうだと思い、高校は保育科のある学校を検討しました。

が、最終的には、好きな音楽をたくさん学ぶことができ得意なことを活かせる音楽科へ進学することにしました。

正直なところ当時はまだ音楽を仕事にするイメージがはっきりとは湧いていなかったので、音楽科に行けば副科でピアノの練習もできるし、将来もし保育の仕事に就いたとしても、役立ちそう!という目論見もあったのです。笑

楽器を変えたら、音も進路も変わった!

高校も吹奏楽部は盛んな学校で、ここでも青春をすべて捧げるほど、3年間吹奏楽漬けの日々を過ごしました。

ただ中学時代と違い音楽科に在籍していたので、部活以外でも音楽に触れる時間が増え、自分のいつも聞いていた音楽はどんな人がどんな風に作曲した曲で、演奏者はどのようにそれを汲み取り、どこに注目して演奏すると良いのかなど、さらに一歩、音楽を専門的に学ぶことができました。

そして高校2年生のときに音楽大学への進学を決め、はじめてそれまで使っていた洋銀(銅などの合金素材に銀をコーティングした、軽く鳴りやすい素材)のものから、総銀(銀の純度が高く、よりダイナミックに表現できる素材)の楽器へ買い換えました。

このとき音量や音色の変化など、今まで苦労してもできなかったことが、不思議なほど簡単にできるようなったことに大きな衝撃を受けました。

周りからも「全然前と音が違うね!」「前よりも上手に聞こえる!」と言われるようになり、今までより自分の可能性が広がったことが嬉しく、ますますフルートを吹くことにのめり込んでいくようになります。

この頃、初めてフルートソロのコンクールに挑戦するのですが、ここでもやはりまず正確に間違えずに吹くことが求められ、楽しいと感じるところまでいくことができず、コンクールが嫌いになってしまいました。

がむしゃら、暗黒時代に希望の光が…

まずどの学校を選んだら良いのか分からなかったので、お世話になっていた楽器店の方に紹介された先生が教えている武蔵野音楽大学器楽学科フルート科へ、これもまたその方のすすめで推薦入試ではなく一般入試を選んで受験し、無事に入学しました。

ここではとにかく学校内、コンクールなどで結果を残すことを目標にひたすら練習をして頑張りました。

ただ今までより外の世界はレベルが高いことを思い知り、だんだんと音楽と楽しく関わることが難しくなって、何のために音楽をやっているのか、将来何をしたいのかわからなくなっていきます。

マスタークラスを受講したとき
マスタークラスを受講したときの写真
様々な先生に習ってみたり試行錯誤の日々

このまま大学院へ進学するか海外へ留学するか悩んでいました。

そんなときパリで教えているという日本人のフルート奏者を紹介され、試しに彼女が教えるというフランスの田舎の夏期合宿に2週間参加しました。

そしてこれが運命の出会いでした。

彼女のレッスンは、演奏者の中から湧き出るものをとことん一緒に探して引き出してくれるレッスンで、私の忘れていた音楽への愛情や情熱を思い出させてくれたのです。

もう毎日レッスンの時間が待ち遠しくて、こんなに楽しい日々が過ごせるのなら絶対に留学したい!と鼻息を荒くして帰国しました。

フランスにて
はじめての海外は知らないことばかり。
でも思い切り音楽に没頭できた2週間

音楽のジャンルも言葉にも、本当は壁がないんだ!自分の音楽に出会った瞬間

大学卒業後は、すぐにその師匠の元へ留学しました。

しかし留学生活は思ったものとは違い、言語や文化の違いに落ち込む日々でした。

またフランスでは音楽を表現する上で大切な「音、音色」は最も重要とされ、試験などで多くの挫折を味わうことになります。正直自分の音は好きなほうだったので、とてもショックを受けました。

そしてここからアンブシュアを一から作り直すことになるのですが、二年間くらいは満足に音を出すことができず、その後もしばらく納得のいく音色で吹くことが出来ないままでした。

当時は本当に自分の音が好きになれず辛いだけでしたが、ここで今まで何となく使っていた唇の筋肉の使い方を意識したり、アンブシュアだけでなくアパチュア(唇中心の穴の開き)をどうすると音の幅が広がり、さらには音程の安定に繋がることがわかったので、結果的にはとても良い経験になりました。

フルートのクラスとは別に、師匠は即興演奏のクラスも教えていたので、私は音楽家として武器になるのなら!と今まで自分とは程遠いと思われたジャズやブルガリア音楽など、まずはクラシック音楽ではないジャンルを通して即興演奏というものを教わりました。

これをきっかけにジャンルにこだわっていたのは自分自身で、本当は音楽には壁がない、そして音楽は正解を求めるものではなく何かもっと自由なものなのだ、と肌で感じる日々を過ごします。

いつも音楽が身近な環境
プロもアマチュアも、ジャンルも関係なく、いつも音楽が身近な環境

それを他人の演奏でとても感じたのが、パリでとても上手とされるオーケストラの演奏を聞いた時です。

今まで、とくに大学時代にはオーケストラはあの大人数がいかに指揮者の指示を正確に表現するかを求められると思っていたのですが、彼らの演奏、とくに管楽器奏者たちがまるで少人数の室内楽演奏のようにとても自由で!

これで崩壊してしまわない技術の高さがすごい…!と驚いたのを覚えています。

音楽だけでなく、言葉の壁などもあり、必要以上に「周りに正解」を求めている自分に気づき、「これで良いんだ!」と自分に合った勉強法や向き合い方がわかるようになります。
(因みにフランス語の勉強は、友人とスカイプを使い好きなマンガの音読して会話の練習をしていました。笑)

演奏会後、同じ門下の仲間たちと。みんな個性がバラバラ!
演奏会後、同じ門下の仲間たちと。みんな個性がバラバラ!

音楽はその人の言葉

そしてある日、そのとき勉強していたフランス音楽の曲を、フランス語で話すようなリズムで演奏してみると、とても自然な流れで演奏できることに気がつきました。

その後もさまざまな演奏を聞くたび、音楽がその国の言語のリズムと同じだということを感じ、言葉と音楽は切り離せないものなのだと考えるようになっていきました。

その後日本を中心に活動を始めるのですが、どうしても吹くことに身体的な苦しさを感じ、フルートの演奏技術だけではない身体の使い方を勉強するようになります。

学んでいくとそれまでの身体の使い方では身体と楽器が分離してしまうこと、もっと歌のように身体も楽器として一体になって演奏できるということを感じるようになりました。

そして無理がなく、必要な力だけで出た「自分の音」というものに出会ってからは、本当に身体が軽くなったように自由で、今まで納得のいかなかった音色だけでなく、苦労していた指や舌のテクニックもどんどん変わっていきました。

そうして自由に演奏できるようになってさらに、音楽は正解不正解の世界ではなく、その人から生まれてくる言葉だからこそ、それを大切に、正確に表現するためテクニックを磨く必要があると感じるようになりました。

現在は埼玉県狭山市に拠点を移し、その人にしかない経験から生まれる感覚を大切にし、音楽を通してさまざまなことを表現したり、それがさらに生きる喜びに繋がっていってほしいという想いで教室を開いています。

とじる